薬剤師のための心と身体のスタイル提案マガジン ファーストネットマガジン

INTERVIEW 夢の大きさが未来の大きさ

ワイ・エイ・パートナーズ(株)代表取締役
ジャイロ経営塾 代表

秋元征紘 さん

受験には落ち、初恋が成就することもなく、ベンチャーは大失敗。
決して運が良かったわけではない。
そんな秋元さんが、何故、大企業の社員から「そんな人生を送りたかった」と言われるようになったのか?
薬剤師の皆様への応援メッセージとともに、これまでの人生を語って頂きました。

第一章 行動すると事態は変わる

子供の頃の夢はなんですか?

高校時代は「国立大学に入って役人や大企業のサラリーマンになり、出世して、高い年金をもらい悠々自適の生活を送る。休日はカメラを持ってバードウォッチングやコンサート。」っていう日本人の理想的なキャリアを持っていた。だけど現実は全然そうではなかった。たまんないくらい酷かった(笑)。

まず、高校から落第しそうになった。担当の英語の先生からは「君みたいな人は行く大学がない」と罵倒され、案の定、大学受験に失敗。浪人中もあんまり勉強はしなかった。その後、整然として綺麗なキャンパスに惹かれて上智大学に入学すると、先生の半分が外人だったこともあって急にグローバルな扉に近づいた。小田実の「何でも見てやろう」という本をきっかけに、英語ができるようになると直接世界に入っていけると思って苦手だった英語を勉強し始めた。
大学に入って最初の経験は、昭和39年に開催された「東京オリンピックの閉会式のガイド」。バスで新宿御苑の閉会式場に向かう間、英語で企業宣伝を読むのが仕事。閉会式は夜に行われたんだけど、酔っ払いアスリートの中に金髪の可愛いドイツの女の子達がいた。みんな英語ができて、わいわいきゃっきゃっととても楽しかった。「英語ができるとこういう子とデートができるんだ。これはすごい!」と思って更に勉強した。
そのうち、英語を使って世界に出ていける事がしたいと思うようになって、入学後に入ったグリークラブを3ヶ月でやめ、仲間と一緒にオーストラリアとの学生交換のために寄付金集めをしたんです。日本の財界政会が集まる丸の内・霞ヶ関・永田町・大手町の会社を一つずつ回り30万円くらい集めてオーストラリアに行ったのが最初の海外。海外に行ったら日本のことが知りたくなった。勉強もしたくなって本をたくさん読んだ。シュンペーターの『経済学』、アベグレン先生の『日本の経営』、小島慶三の『農業論』とか。卒業する時は大学院に進みたくなっていた。
行動すると事態は変わる。グリークラブに入ったけど、もっと違う世界があるんじゃないかと思って新しい事に挑戦した。そうするとまた新しい学びがあるじゃないですか。それでまた進んでいくと、だんだん自分がやりたい事が見えてきて・・・。そういう事のくり返しでしたね。
大学4年の時は就職活動をやめて奨学金を探していたんですが、卒論も終わっていて時間があったので、ちょうど『日本の経営』の著者アベグレン先生がボストンコンサルティンググループを作った年だったこともあり、今でいうインターンとしてアベグレン先生のアシスタントの仕事をするようになった。そしたらとても面白くて、もっと勉強がしたくなって、経済学とビジネスの間みたいなテーマをシドニーに行って学んだんですよね。たまたま大学2年目、大学の恩師だった日本精工の専務さんがシドニーに来られて、シドニーに日本精工の工場を作るからお前来ないかって言われた。日本の会社って当時、破竹の勢いで世界中で伸び始めていて、日本精工もグローバル企業を目指していた。面白いかなあと思って入っちゃった。それで10年いたんですよ。オーストラリアの工場を1年、ニューヨークに5年、トロントに4年。
ここまでが高校・大学・就職って感じですね。

その後も順調にキャリアを積まれた?

いえいえ、その後はベンチャーをやって大失敗したんですよ。失業して財産も失って、その後最初にやった仕事は時給600円のケンタッキーのアルバイト。その後、部長に取り立てられて12年間勤務し、最終的には常務として営業統括を担い1050店舗の全責任者になっていた。日米合弁会社なので、半分は日本の会社で半分はアメリカの会社なんですが、日本の会社には日本的な説明、アメリカの会社には今やっていることがいかに日本マーケットで正しいかを説得しなくちゃいけない。日本の発想は分かるので日本側の説明はあまり難しくなかったんですけど、アメリカ側はすごくしんどかったですよね。日米の両方をいったりきたりしながら、マーケティングや経営戦略・店舗戦略、キャッシュフロー、マネンジメントの問題を説得して許可をもらう。そのためのトレーニングもものすごくした。多くのアメリカ企業は日本で失敗したんですけど、ケンタッキーの場合は大成功で、私のいた12年間で二桁成長を記録した。売上も利益も伸びるっていう奇跡的な成長だった。そうこうしているうちに、特にマーケティングの評判が良くて、ヘッドハンターから声がかかるようになった。たまたまシドニー大学の時の友達からペプシの副社長、将来的には社長ってポジションをオファーされ一度断ったんです。そしたらその後KFC本体がペプシに買収されたっていうのが分かり、一週間くらいしたらペプシのトップエグゼクティブが来て「ミスターアキモト、お前のこと知ってるよ」っていうんですよ。何で知っているんだってびっくりしました。そしたら、「我々はもう株主だ。ノーとは言わせない。お前はペプシコーラをやれ」って言われたんですよね。それでニューヨークに行きましたが、非常にラッキーだった事は、ペプシの中興の祖であり、後にペプシコの会長になったロジャー・エンリコに出会った事。マーケティングシェアでコカコーラから1番の座を奪い取った人ですね。一番有名なのは、広告の一環としてマイケルジャクソンを起用したことです。マイケルと彼は非常に仲が良いんですけど、そこから誰も考えつかなかったような大マーケティング戦略を展開して大勝利する、そういう場面に居合わせたんですよ。ロジャーは僕と同い年なんで、とても仲良くしたんです。マイケルが日本に来た時は16回のコンサートに全部行きました。THIS IS ITっていう実現しなかったコンサートありますよね。あの中身って最初日本に来たBADツアーとほとんど同じなんですよね。マイケルはやっぱりあれがベストなんです。ダンスと音楽構成、曲もほとんど同じですよね。あれを目の前で16回見ました。マイケルにも会えましたし、非常に面白かった。昔から音楽好きだったんで、もうたまんなかったですね。

その後、ナイキに行かれた理由は?

実はペプシが終わってから、もう一度KFCに戻って上場のお手伝いをして上場したんですよ。そしたら僕の上に親会社から副社長が来ちゃって・・・。ああやばいなと思ったんですけど、そういう状況になったとたんにヘッドハンターからわーっと電話がかかってきて、「秋元さん、こんなの不愉快でしょ」っていうんですよね。その中のあるヘッドハンターがナイキの話を持ってきた。2年前に、ペプシの時に一緒によく飲みに行ってた仲間にスポーツシューズをやらないかって誘われた事があるんですよ。でも行く気にならなくて「ナイキだったらやるんだけど今回は断るよ。」って断った。それを覚えていたヘッドハンターから「秋元さん、今度はナイキですから」って言われて(笑)。それでナイキに行ったですよね。
いやあ面白い会社ですよ。創業者のフィル・ナイトが日本大好きなんです。社長室に入るときに汚いからって靴を脱ぐんですよね。アメリカのポートランドですよ。72年にアシックスから独立してナイキが生まれた時、生産は全部日本でやっていたんです。基本的にナイキは日本との関係で生まれた会社で、フィルはいまだに日本びいきなんです。フィル・ナイトとかスティーブジョブズといった、僕らよりちょっと上くらいの世代の西海岸の人達にとって、日本って燦然と輝く未来だったんですよね。70年代・80年代のアメリカって、ベトナム戦争やニューヨークのストで犯罪が増えた事もあって調子が悪くて・・・。そういう時代の、アメリカにある程度失望した若者がみんな夢見たのが日本だったんです。彼らが一番夢見たのはソニーみたいな会社。フィルは1995年の株主総会で「ソニーみたいな会社にするんだ」って言ってますし。アベグレン先生もそうだった。僕らの前の世代ってアメリカにコンプレックスがあったけど、日本のマスコミが「日本人はダメだ」って言ってるときに、こういうアメリカ人みんなが日本に対してパッションを持っていたんですよね。日本のソニーみたいな会社に自分の会社をしたいって。こういう世界の中で日本ってすごいんだなって思いました。日本人があまりそういうことを知らないのは残念ですよね。
新聞もテレビも売れなくちゃいけないんで、本当のことは教えてくれないんですよね。本当のことはどうすればよいか知ってます?自分の目で確かめる。自分の耳で確かめる。触ってみる。それで本当の事が分かる。そういう人生を送れば夢が開けてくる。若い人にはよく言うんですけどね、「今持っているあなたの夢の大きさ、それが未来の大きさですよ」って。これは一番大事なことだと思ってます。

内閣府のある調査で、『時々、自分は役に立たないと強く感じることがある。』という設問に対し、「そう思う」「どちらかと言えばそう思う」と答えた児童は55.7%!日本の児童は自己否定感が強いのです。
この課題に取り組むため、カンドゥーでは「ほめ達」を導入しました。幾多の企業や市役所などで目を見張る効果をあげてきた「一般社団法人日本ほめる達人協会」の研修を全社員が受けています。
アメリカでは、子どもをほめてあげられる機会が少しでもあると大人たちはすぐ「イェーイ」と称賛します。欧州、北米、南米、アセアン、ロシアなど、私の知る限り世界のほとんどの国では『ほめる教育』が当たり前です。教室では『たたえ合う』のが日常です。タイその他の多くの国では「あなたは私をほめてくれない」というのが夫婦喧嘩の立派な理由になり、また昨年アメリカの多くの州は「子供を怒鳴ってはいけない」という州法を制定しました。日本の「駄目だし教育」は、世界的には極めて少数の例外であることを日本人は知るべきです。

夢を未来にするためには?

じゃあどうしたら良いのかというと、まず夢を持ちますよね。そしたらすぐ実現しちゃうんです。それに一番近いことをやっちゃう。
そうすると、思ったほど良くなかったり、すごく良かったって事が分かるじゃないですか。すごく良かったらそっちをガーッとやっていけばいいんですよ。
僕は今までに、グリークラブをやめて英語を勉強してオーストラリアに行って、今度は経済学に興味を持って、大学卒業後は日本の会社の工場を作ったりしたんですが、だんだん変わっていっちゃうんで「秋元さん何やってるんですか」って言う人もいたんですよ。今でも言われるんですよね。だって最初ベアリング屋さんで次がから揚げ屋さん、その後は砂糖水を扱って靴を売って、最後は化粧品でしょう。よく出来ますねって言われるんですけど、やる気になれば何でもできるんですよね。僕はもともと英語で落第しそうだったのが英語を使えるようになったわけですから。なんでも興味を持ってうんと勉強すれば、すぐ自分のものになるじゃないですか。その中で自分が何をすべきかとか、何をしたいかとかいうことがはっきりしていればどんどん夢って増殖してくんですよね。宝くじだって買ったから当たるんであって買わなきゃ絶対当たらない。それに近い。
特に若いうちは色んな事に興味を持てるし行動にも移せる。時間もある。その時にできるだけ大きな夢を持つっていうのが大事なんです。考えついたらすぐ行動に移すのが大事。一番いけないのが「どうしようかなー。でもやっぱりいいや。」とか「めんどくさい。」とか。大きな夢を持って行動にうつす。この二つがあればどんどん夢が増殖していく。
僕らの世代の先輩であるボブ・ディランに『時代は変る』っていう有名な曲があります。ようするに、怒涛のように時代が変わっていく中で、一ヶ所に留まっているなんてありえない。常にあがいてあがいて水面に残る努力をしない限り、巻き込まれていってしまいますよね。河の流れがきついのがとんでもないと思うか、この急流に乗れたっていう満足感に浸るか。それはやっぱり後者でないとちゃんと生きられないですよ。波に飲まれちゃえばおしまいですから。
秋元さんは運がいいって言う人もいる。例えば、成績が良くてストレートで総合商社にいった同級生がいるんですけど、今はリタイアして年収数百万の悠々自適な生活を送っている。彼が「お前みたいな人生を送りたかった」って言うんです。そういう事ってあるんですよ、現実って。僕は運は自分で作ったと思ってるんですよ。だって運が悪かったんですから。ベンチャーは失敗したし、初恋が成就したわけではなく、受験も最初はみんな落っこちた。ラッキーだったってわけじゃなくて、必死になって生き残ろうとしているうちに運が開けていった。いつも調子が良くて楽しくてしょうがなかったってわけじゃなくて駄目な時もあった。だけど、どんな状況でも新しい目標、次にやるべき事を考えて一日を無駄にしなかった。めんどくさいって言わなかった。たとえ思ってもやっぱりやってみた。行動に移すことをやめなかったのが結果的に良かったんじゃないかと思っているんですよね。

第二章 薬剤師の皆様への応援メッセージ

Ⅰ、二つの勇気

薬の世界って勝負はイノベーションですよね。今の世の中、想定外のことがよく起こり、全ての価値観は変わっていく。新薬の開発に関しても、がん・HIVから始まりどんどん人類の未来を脅かすような病気に対して対応していく必要がある。
そんな中で、当たり前のことは正確に知識として積まなくてはいけないけど、一方ではまったく逆のことを考えるクリエイティビティなんかも製薬会社なんかではものすごく大事なことですよね。新薬の開発は普通の発想では出来ない。
できない理由をリストアップする人が多いですけど、最終的にその坂を越えるとその向こうに見えるのは、今度は逆にこういう問題を解決する能力。例えば、がんの治療薬に関する話でも、やっぱりできない理由はいくらでも挙げられる。だけど世界が求めているのは、できるだけ早く今のがん患者を救うっていうことじゃないですか。そういう事に対しては全然違う発想が必要ですよね。
次の時代の新しい体系作りには二つの勇気が必要だと思うんです。ひとつは、基礎をしっかり勉強することから逃げないという事。もうひとつは、逆に全てのことを疑ってかかって新しいものを作り上げる事。固めなくちゃいけないことをきちっと固めるってことはすごく大事だけど、一方では、そういう固めた話を全く反対側から見て「これはおかしいんじゃないか」って疑う気持ちを持つ、このバランスが大事だと思うんですよね。
じゃあどうすれば良いのかというと、好奇心を持って色々トライして、行動に移って、そして人ともいいコミュニケーションを取って情報を得て、それをまたクリエイティブに考える、そういうサイクルの中で成就していくことだと思うんです。

Ⅱ、世の中を知り、主観的に考える

一人ではできないですよね、何事も。比較的一人でできる仕事であってもコミュニケーションをうまくとることによっていろんな仲間と仕事ができるようになっていく。そういうことも人間として生きていく上で、世の中の常ですよね。
僕がいうコミュニケーションっていうのは、ある意図を持ってコミュニケーションを取ったときに、結果的に相手の気持ちが変わる、行動が変わるってところまで相手の気持ちを揺さぶるような、そういうレベルのコミュニケーション。さっき、人生を生きていく上で河の流れに流されてしまうのか、河の流れを上手く利用して自分なりの人生を送るのかという話をしましたが、一般的によく言われるコミュニケーションというのは、その流される方なんですよね。空気が読める・読めないとか。そんなものは読めなくていいんですよ。本当の意味での空気が読めるっていうのは、世の中がどうなっていてこの次に何が起こるかっていう、そういう流れが読める人。そういう人はいい加減なコミュニケーションは取らないんですよ。おかしい事があったらおかしい!とか、面白い事は面白い!とか主観的に考える。そういうコミュニケーションを取ることで、協力者が得られたり恋が成就したり、人がついてくると思うんですよね。

Ⅲ、世のため人のための方が面白い

さっき、夢をもって行動に移すって話をしましたよね。でもそれが自分のためだけだったら駄目なんですよ。それが世のため人のため、あるいは人々のため、人々と一緒にっていう方向性を持った途端にみんなが共鳴する。そういうときにコミュニケーションがすごく大事になってくるんですよね。そうすると自分の持っている夢が自分だけの夢じゃなくて、世界の夢になる。ナイキなんかそうですよ。あれは靴を売っているんじゃなくて夢を売っているんですよね、子供たちに。「ジョーダンシューズをはくとマイケルジョーダンになったような気持ちになる」っていうのが当時の中学生の率直な感想だったんです。そこまでの夢を全世界の子供たちに与えられる、それはすごく意味があると僕はナイキで働いていてつくづく思いましたよ。結果的にはすごくお金も儲かるんですけど。ケンタッキーは美味しいじゃないですか。その美味しさを世界中の人に経験させるっていいじゃないですか。ルイヴィトンやゲランもそうだったですよね。やっぱり嬉しいですよね。ああいうものが手にできると。そういうような事をいつも考えてる。そしてその同志を集めるってことでコミュニケーションを取っていく。そういう事になると、例えば、結果的に自分で会社を興して本当に世界中の人がいいなと思うような大企業になっちゃうかもしれないですよね。人生って条件はみんな同じですよ。朝起きて食事して行動して寝て、次の日朝が来て・・・。その繰り返し。その中で、全く芽が出ない人もいれば、もっと酷い人は監獄に入っちゃったり・・・。一方では大富豪になったり、大富豪じゃなくても世界中の人々が「この人がいたおかげでこんなに幸せになった」って喜ぶようなことが出来る人もいますよね。同じ時間なんですけど。それはさっきいったように夢を持つ、トライする、みんなとコミュニケーションを取る、本当にこうなのかなって考える、そういうことの連続の中でその差が出てくるわけじゃないですか。神様が与えてくれたチャンスはみんな平等なんですよね。問題はそれをめんどくさいと思って諦めちゃうか、「これはすごい」と思ってどんどん自分で行動に移していくか。選ぶのはみなさんの自由です。だけど、できれば世界中の人を喜ばせるような、世の中のためになるようなことを選んでほしいですね。
僕らの時代って、ちゃんとしたサラリーマンにならないと未来がないような時代だったんですよ。でも今はいきなり世界一になれるんですよね。そういうことにお金を出す人も世界中にいる。今は最高にいい時代なんです。これは若者にいうとみんなびっくりした顔しているけど本当なんですよ。僕らよりも全然いい時代にみんな生きているんですよね。問題はそれを自覚しているかどうかなんですけど。
やればできるんです、誰だって。日本は成功するといけないみたいな空気がこの20年間ありましたけどね。そんなことはないんですよ。成功はいいんです。ただ、自分だけの成功ってつまんないですよ。僕がいたのはカトリックの大学ですが、神父様がよく言っていたのは「Men and Women for Others, with Others(他者のために、他者とともに生きる)」そういう人を教育するんだって。これはなかなかいい。そういう意識を持つとすごくいい人生になると思うんですよね。

秋元征紘(あきもと ゆきひろ)プロフィール

ワイ・エイ・パートナーズ(株)代表取締役
ジャイロ経営塾 代表 (http://www.gyrokeieijuku.com)

日本精工のオーストラリア、アメリカ、カナダの海外経験の後、ケンタッキーフライドチキン、ペプシコーラ、ナイキ、LVMHグループのゲランなど米国・欧州の代表的外資4社のトップマネージメントを務める。
“新たな日本的経営”として「ジャイロ経営」を提唱。ベンチャー企業支援、「ジャイロ調査」に基づく経営コンサルティング、独自のグローバル人材研修の立案・実施、執筆・講演を広範かつ精力的に展開中。

1968年 上智大学経済学部卒業
1970年 シドニー大学経済学部修士課程
1970年 日本精工(株)入社、メルボルン、ニューヨーク、トロント駐在
1980年 日本ケンタッキーフライドチキン(株)企画販売部長、企画本部長、マーケティング本部長、取締役 経営戦略担当を歴任
1987年 日本ペプシコーラ(株)副社長として出向
1988年 日本ケンタッキーフライドチキン(株)常務取締役 営業統括
1993年 (株)ナイキジャパン 代表取締役社長
1995年 LVMHグループのゲラン(株)代表取締役社長、ゲランSA(パリ本社)執行役員、取締役会長を歴任
2006年 ワイ・エイ・パートナーズ(株)設立、代表取締役に就任
2008年 ジャイロ経営塾を設立、代表に就任

その他の活動

主な著作物

  • 『金の社員、銀の社員、銅の社員―自分をマネジメントする方法』 文藝春秋新書、2012年
  • 『一流の人たちがやっているシンプルな習慣』 フォレスト出版、2010年
  • 『こうして私は外資4社のトップになった』 東洋経済新聞社、2009年
  • 『「ジャイロ経営」が社員のやる気に火をつける―パッション・カンパニー』ファーストプレス、2008年
  • 『新・リーダーの条件―新しい世界を築く人々のために』 上智大学出版、2006年