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香りのサイエンス 第3回 アロマのプロから学ぶ「香りのサイエンス」

文化と五感

私の関わるアロマセラピー(芳香療法)は、もともとは西洋において、近年広がってきた自然療法分野の一つでもあります。
西洋の自然療法は、ギリシャ古代医学を起源とし、ローマ、そしてアラビア(ユナニ医学)を経て現代へと受け継がれてきています。その根底にはアリストテレスの哲学思想とその後の一神教、特にキリスト教による影響を大きく受けて成長してきました。
その一つの大きな流れの特徴に“対称性”があります。
これは、皆さんご存じのように西洋の教会やベルサイユ宮殿などの建物や庭園は全て左右対称に出来ています。これは神の創る全てのモノは完全で絶対調和があり不規則性がない、と言うことの表現なのです。
このような対称性は、人間の思考や思想にも影響を与え分類の考え方を導きました。
善と悪、プラスとマイナス、理性と感性、主観と客観、と言う対称性を表し、それは現代の0と1のコンピュータープログラムにまで行き着きます・・・。
そして、18 世紀の哲学者カントによれば、客観的な感覚を、視覚、聴覚、触覚、主観的な感覚を味覚、嗅覚と分類しました。その主観的と言われた嗅覚は、理性的な感覚とは言えず、知性には役立たない、とまで述べています。
また、神の聖なる香りと異なる、理性(精神)を伴わない味覚や嗅覚は身体(肉体)感覚と見なされ快楽と結びつく危険な感覚と見下されました。
また、フロイトも直立二足歩行の人間の目の位置は高いため視野がひろく、地面から遠ざかった鼻の感覚は弱くなり、そのために性的刺激も動物的な嗅覚興奮から、持続性のある視覚興奮へと移ったと述べています。フロイトは、女性の性的魅力がお尻からバストに移った原因をも言いたかったのでしょうかね。
このように、西洋においての嗅覚は、近代まで五感の序列の中で視覚や聴覚よりも非常に下位に考えられてきました。
一方、日本では、八百万の神とも言われるほどの多神教の文化です。そのため、西洋のように五感に上下の序列も無く、対称性などまったくありません。日本庭園には対称性などありませんし、西洋の神の調和に比べると、善と悪などの線引きも非常に曖昧です。その結果、「快楽」に寛容で、味や香りなど五感の中の優劣も非常に曖昧です。そのおかげで、世界で香りを香道という美学、すなわち嗅覚を知性にまで磨き上げた国です。そのような国は他にはありません。そして、香りをアイデンティティーとして文香などにしたためて恋の成就へと導く役目まですでに平安時代にはしていたのです。

香りとフェロモン

では、香りで恋を成就させる事は出来るのか?
人は幾度かの同じような複数の条件下で嗅覚刺激と重なることにより嗅覚の学習が成立します。文香はそれを逆手に取った利用法になります。ある特徴を持った香りの嗅覚刺激を受けると特定の女性を思い浮かべると言うように。
しかし、これはフェロモンのように直接に香りの成分が作用効果を発揮しているわけではありません。あくまで、香りの条件による二次的効果に過ぎません。
では、一般に言われるようなフェロモンと香りの違いは?
フェロモンとは、“性的誘因をもつ匂い成分”と考えると、人間には一義的に結びつける匂い成分があると証明することは非常に難しいのが現状です。なぜなら、上記の文香のように人間は嗅覚刺激を学習するので、直接の匂い成分による効果を立証することは困難だと言うことです。
たとえば香水ですが、香水は、空気中に発散しやすいように、炭素と水素からできているものが多くあります。これは、炭化水素成分の香りのクチナシやジャスミンなど夜に咲く花を思い浮かべます。これらの花は昆虫、特にハチに蜜を与えて、雌しべに雄しべを受粉させるために香りを放ちます。逆に、除虫菊という花は自分が昆虫に食べられないように香りを放っています。また、ゴムなどの樹脂も分子が小さく、どちらかというと「フェロモン」に近いでしょうか。そして、「フェロモン」で特にイメージされるのは麝香(ムスク)などの動物性油脂なのではないでしょうか。元々は重いのであまり飛びませんが、薄めて揮発性を持たせたものが売られていますね。
しかし、これらの成分に昆虫が放つような催淫作用を持つような直接成分があるとは言いがたいのが現状です。

フェロモンとヒト

ただ、200年程前、ヤコブソンがフェロモンを感じる器官を発見し、「ヤコブソン器官(鋤鼻器官)」と名付けました。この器官は動物にはあることが分かっていますが、ヒトに関しては未だ証明はされておらず、あるという人もいれば、幼児期にだけあるという人もいます。ある研究によると、ヤコブソン器官の発達の関係から、ヒトは「香り:フェロモン」を200:1の割合で感じていますが、爬虫類はなんと4:3の割合で感じると言われています。すなわち、動物とは大きな違いがあります。
しかし、このようにヒトもフェロモンを全く感じていないわけではない事は現象から考えられます。例えば、思春期の娘が父親を避けることがよくあります。これは、遺伝子の多様性のために潜在的に自分の遺伝子に近い人のフェロモンを感知し、避けていると言われています。娘は母親に対しては嫌悪感を示しません。

「媚薬」は存在するのか

「媚薬」は存在するのでしょうか。人間に潜在的に影響を与える香りがあれば、片想いの女性を振り向かせることができるかもしれません。
先に文香で書いたように嗅覚は学習します。
そして、人間は動物の中でも特に複雑で、嗅覚嫌悪学習というものがあります。例えば、バラが咲く場所で彼女と別れたら、バラの香りが嫌いになる、というような非常に個体差の大きい学習です。世間一般で、癒しの効果があると言われている香りでも、嫌悪学習をした香りであればその効果は期待できません。このように個体差が大きいため、「フェロモン」というようなセクシャルなイメージの香りを嗅覚刺激で人間に実験することは非常に難しいのです。
すなわち、残念ながら、私は「媚薬」は存在しないという結論で良いと考えています。香りの感じ方は本当に人それぞれで、万人に一義的な影響を与えるような香りはないのです。相手を振り向かせるには「媚薬」を探すよりも、香りを相手の記憶の中で意味付けする学習法が良いでしょう。例えば、会う度に同じ香水を付けたり、同じ香を焚くことで自分の香りを相手の記憶に学習させていくのです。いかがでしょうか?
すでにこの応用として、有名ブティックなどではC.I.(コーポレートアイデンティティ)の一つとして、ストアに香りをくゆらせておられるブランドなどが日本でも現れてきておりますね。
このようにアロマセラピーはメディカルな面と、今回述べたような人文学的な両面を考えながら拡がってゆくことでしょう。

市邊 昌史 氏 プロフィール

一般社団法人 国際アロマセラピー科学研究所(ISA)代表理事

日本アロマ環境協会(AEAJ)総合資格認定スクールであるライブラ京都校Aivanアロマセラピースクールを主宰する市邊氏。
スクールではアロマセラピーやメディカルハーブ、さらには食育の講習をするかたわら、元昭和薬大教授の田代眞一氏とともに全国各地で、アロマセラピーのリファレンスデーターベースの講演活動を展開中。

目的

  • 植物薬理学および植物資源学の研究 田代真一(元昭和薬科大学教授)
  • アロマセラピー、漢方医学、ハーブ医学などの自然療法の研究
  • 健康と美、産後ケアなどに対する自然療法の活用方法の研究
  • 植物薬理学を応用した医薬品、健康食品の研究開発
  • 植物薬理学、植物資源学、自然療法の研究者への支援
  • 植物薬理学、植物資源学ならびに自然療法に関する講演やセミナー等の教育普及活動
  • など