薬剤師のための心と身体のスタイル提案マガジン ファーストネットマガジン

INTERVIEW いつから薬剤師を目指したのか、なぜ薬剤師になろうと思ったのかはあまり明確には覚えていないのです。

メディアーチ株式会社 代表取締役社長
株式会社ワールド・ビジネス・アソシエイツ 理事
薬剤師・中小企業診断士・AFP

椎名 みづほさん

・昭和大学薬学部を卒業
・アメリカへの語学留学で英語と同時に薬理・病理等を学び帰国
・帰国後、大手調剤薬局・コンサルティング会社・外資系医療機器メーカーなどでコンサルティングや職業紹介事業に携わり、中小企業診断士の資格を取得する。
・現在は、JICA・欧州復興開発銀行・日本政府の仕事も手掛けており、日本国内だけではなく、中央アジア・アフリカ・南米・中東などグローバルに活動している。

まずは椎名さんが薬剤師を目指したきっかけから教えてくださいますか?

それが、いつから薬剤師を目指したのか、なぜ薬剤師になろうと思ったのかはあまり明確には覚えていないのです。小学生の頃に読んだ本か何かで、患者さんに何かをしてあげる職業だというイメージを持ったことを覚えていますから、その頃から自分が将来医療に携わることは想像していたのでしょうね。その後、東邦大学附属中学校・高等学校に進学したのですが、周りが医師など医療系を目指している人が多かったこともあり、自然と私の進路も医療系で定着していきました。

東邦大学の薬学部も名門ですが、そのまま進まれなかったのは何か理由があったのですか?

その動機は単純で、実家も近かったので中学から高校にかけての6年間を千葉の津田沼で過ごしたこともあって、楽しい大学生活は都内で送ろうと…。それだけの理由でした。(笑)進学した昭和大学では、最初の1年間は他学部合同での全員寮生活を強いられましたので、その時代の絆は今でも強いですね。

そして大学を卒業すると同時に、薬剤師の道を選ばずに情報システム開発の分野に飛び込まれたわけですが、この進路も当時は珍しかったのではないですか?

昭和大学では医療系とは無関係の業種に就かれた方も結構いましたよ。当時は薬剤師の就職先は病院や製薬会社が主でしたから、やはり異色といえば異色ですが。実はSEになりたかったというよりは、病院で働きたくなかったのが本音です。もちろん医療人を目指して勉強も頑張っていたのですが、病院実習に行くと、業務は薬剤師ではなく調剤師だったのです。当時は病棟業務が殆どなかったですし、薬剤師がチーム医療の一員として業務を行うこともなく、患者さんと会話をする機会もほとんどない。これなら、薬剤師の免許さえあればいつでも戻ってこられるので、わざわざ貴重な新卒で就職先として選ぶ必要もないと思ってしまい、それであれば、今後は知っておいて損はないだろうと、当時黎明期だったIT業界に飛び込んだのです。

全く知らない分野で苦労はされませんでしたか?

ものすごく苦労しました。(笑)当時私はパソコンとワープロ、、、今はワープロ専用機ってないですね。その違いも良くわからなかった程度のIT知識でしたので最初は大変でした。そんな私が数年後には証券会社など金融関係や広告代理店のシステムを扱っていたので、人間努力すれば何でもできるようになるものだなと思いましたね。(笑) IT業界はプロジェクト管理や人材管理が進んでいる業界ですから、その点ではかなり勉強になりました。その頃に病院の中でもIT化が進み、医療系のシステムを扱いたかったのですが、当社ではなかなかその機会には恵まれませんでした。それならば、次の会社に転職する間にと、以前から漠然とは考えていたアメリカへの留学を30歳を待たずに退職して実現しました。

それが椎名さんの大きな転機になられたわけですね

そうですね。アメリカには2年間行っていたのですが、アメリカの大学は単位制で、卒業に必要な単位数や必須科目はもちろん決まっているのですが、それ以外は自分で選んで色々と好きな単位も取る事ができます。私は乗馬のクラスを取りました。(笑)日本で取得した単位もアメリカの科目に移行できるので、卒業に不足している単位を取得すれば短期間で卒業することも可能です。私は大学付属の英語学校を修了後、興味があった薬理や病理、免疫学、栄養学などを大学で学びました。もちろん英語力のハンディはありますが、医療系の科目では英語力は大きく問われませんので、「意味が通じれば」論述式、記述式のテストでも減点はされません。スペルミスはずいぶん訂正されていましたが、薬理などは再学習ですから成績は良かったですよ。(笑)

これからの時代はやはり英語が大切と感じられますか?

これからの時代は、あらゆる場面で必要になってくると思います。勉強方法について良く聞かれるのですが、何でも良いのでとにかく英語に接することでしょうか。受験英語は通用しないとか言われていますが、それでも接する機会があればどんどん接するべきです。これからは外国人の旅行者や患者さんも増えてきますし、通訳を挟まずにコミュニケーションを取ることができると圧倒的に便利です。それ以上に色々な国の方と直接コミュニケーションが取れるのは想像以上に楽しいことですから、そこに必要な言語となると英語になりますよね。薬局でも英語の患者アンケートを用意しているところもあると思います。ただ職業柄、薬剤師業務を行っているだけでは英語力は身につきませんから、自分から積極的に何か機会を作らないといけませんね。

アメリカ留学では何を感じられましたか?

今では日本も薬学部が6年制になりましたが、アメリカでは当時から薬剤師は大学院卒の資格でした。処方せん枚数が多い薬局では調剤は調剤技師(テクニシャン)という人がいるので、その人たちがやってくれます。この点は日本も今後は導入を考えていくべきだと思っています。薬学部が6年制になって医学部と同じ年数になりましたが、調剤技師制度ができなければ、時間的な制約が厳しい日常業務の中では、せっかく得た知識を患者さんとのコミュニケーションの中で充分に活かすことが出来ないと思うのです。

さて帰国してからの椎名さんは、さらに目まぐるしく転機が訪れたとの事でいらっしゃいますね。

はい。(笑)30代初めに帰国し大手調剤薬局へ入社しました。帰国前から調剤薬局で勤務することを考えていたのですが、その時から独立も視野には入れていました。結局、独立を実現できたのはずっと後になってからでしたけど。帰国後の10変化することへの恐怖より好奇心の方が強く、与えられた環境を楽しむことを考えます。10数年間は、調剤薬局、職業紹介会社、医療機関への経営コンサルタント会社、外資系医療機器会社などに勤務していました。調剤薬局に勤務している時には北海道にも赴任しましたし、新規店舗開業や閉鎖、薬局の業務改善に携われたのは良い経験でした。調剤の現場を離れ、様々なコンサルタント的な業務に就くようになり、その間に中小企業診断士を取得しました。

なぜ中小企業診断士を目指されたのですか?

経営の勉強をしたかったので。アメリカにはMBA取得のために各国からの留学生が多かったこともありMBAも考えたのですが、大学院に通わないといけないですし、まだ日本ではプログラムを持つ大学院も少なかったので、学位より資格である中小企業診断士を選んだのです。あとは、MBAだと確実に数年分の学費がかかりますが、中小企業診断士だと、あわよくば1回で受かる可能性もありましたしね。その考えは大間違いでしたけど。(笑)合格率は4~5%程度ですし、SE時代に仕訳や財務諸表が理解できずに情報処理試験の合格を諦めた自分にとっては、特に財務が苦手だったので合格までの道のりは長かったです。

薬剤師というと女性比率の高い職種ですが、ご結婚についてはどのようにお考えでしたか?

私も現在は結婚していますが、自分のキャリアを考えていく上では、結婚と仕事について一緒に考えることは全くありませんでしたね。30代の頃はまだ独身だったからこそ好きに動けた部分もあると思っていますし、その頃に結婚して家庭に入るという事は全く考えていませんでした。その後も仕事が充実していましたので結婚については気にしませんでした。まあ、私の働き方や生き方に賛同してくれる結婚相手にご縁がなかったというのが最大の理由ですが。(笑)何事も表裏一体ですから、自分の考えには素直に従って、納得の行く人生を送るのが良いと考えていました。

椎名さんには弊社主催の独立支援セミナーでも講師をお願いしていますが、薬剤師はもっと冒険できるとお考えですか?

もちろん、そう考えています。無茶をする必要は無いですが、私の場合、転機に対応できたのは、変化に対する恐怖感が無かったからだと思います。変化することへの恐怖より好奇心の方が強く、与えられた環境を楽しむことを考えます。好奇心が旺盛で楽観的と言えばそれまでなのですが、人は経験したことしか身に付かず、とりあえず何事も経験という考えはあります。では経験するためにはどうするか?それは興味がある事柄に出会った時、まずは飛び込んでみることだと思います。何かしらの犠牲があるかもしれませんが、失敗しても何とかなる場合がほとんどです。薬剤師の資格は人生の土台として考えると強いですが、それだけに保守的になりがちな人が多いと感じます。せっかく強い土台を持っているのですから、新しいものに挑戦して成功をつかもうとする「フロンティアスピリット」があればチャンスが来た時につかめると思います。保守的になってチャンスを生かせない人生はもったいないですよね。

独立に必要なことも、やはりフロンティアスピリットなんですね

将来が不確実な世界に飛び込んで成功しようとする考え方はフロンティアスピリットでしょう。いざ調剤薬局を経営するとなると、千万円単位の借金を背負うことになりますから、その覚悟も必要です。いつ何時、経営者としての責任を問われるトラブルがあるか分かりません。今は薬局を開設すれば必ず儲かる時代ではありませんし、これから調剤薬局は間違いなく淘汰されていきます。そこを乗り切るためにも、独立をお考えの方には強い意志としっかりと将来を見据えた考えと計画を持ってチャレンジして欲しいですね。

最後になりましたが、若手の薬剤師さんへのメッセージを是非お願いいたします

若い薬剤師さんに限りませんが、特に若い薬剤師さんにはプライドが高い薬剤師が多いのかなと感じています。4年制時代の先輩薬剤師のことを馬鹿にする新人や実習生がいるとも聞いています。他職種の方を見下す言い方をする人にも出会います。自分に対してプライドを持つのは自信にもつながるので悪いことではないですが、他人と比較して云々というプライドはみっともないし格好が悪い。誤解を恐れずに申し上げますと、薬剤師は若干視野が狭い傾向にあるので、井の中の蛙が持つような変なプライドは持たない努力が大切だと思います。世界には色々な人々がいて、色々な価値観や色々な物事が存在しています。独立開業にしても、社会に貢献できる薬局を作る、儲かりそうだから、今の環境からの変化を求めてと、動機はそれぞれで構わないのです。共通して言えるのは、いざその時になって広い世間を知らないと何も出来ません。井の中の蛙では駄目なのです。薬剤師には医療人としての資質が絶対に必要です。そしてそれは人としての責任感やバランス感覚を持った上に成り立ち、身に付く物です。大きな視野を持って、変化や失敗を恐れず、常に人としての成長を目指して日々励んで欲しいと思います。

本日は貴重なお話を誠にありがとうございました。
また、椎名みづほ先生を講師にお招きした「薬剤師のための独立支援セミナー」は、参加薬剤師の皆さまより大変好評でした。ありがとうございました。次回開催時も是非よろしくお願い致します。

(聞き手 : 本誌 岡)