八木 マリヨ さん
「癌細胞も私が作った私自身の60兆個の細胞の内である。
癌細胞もわたしの肉体そのものであり、私自身なのだ。
わたしは自身の癌細胞を「悪」とし叩きのめし闘うという現代医療の矛盾を感じる。
自分で作った悪と、正といわれる自分と、互いに戦争するとはなんと滑稽なことか。
矛盾のようだが、癌細胞はある意味、やむにやまれず癌化したもの。
癌のおかげでわたしの生命を保持しているとさえ感じる。
癌という悪に教えられ、わたしの人生が広がった。
またもや3回目の人生を歩ませてもらっているようにも思う」
神戸市在住、八木マリヨさんの創作活動は、文字通り「命がけ」の活動である・・・そんな風にイメージし、緊張を持って取材に望んだ筆者は、その明るいお人柄とエネルギッシュな言葉にただ聞き入るしかなかったのである。
アーティスト・八木マリヨさんといえば、その巨大なアートプロジェクトを世界的に発信し続け、世界中の多くの美術館やパブリックスペースに巨大な作品が常設展示されるなど、そのご活躍はすでに多くの方がご存知であろう。
今回、弊紙が薬学生、薬事関連就業者向けの編集、という趣旨から、「じゃあ、私の病気のことを書いてみては?」とご示唆いただき、現在の取り組みと「生きる」というテーマについてお話をうかがうことができた。
2003年、55才の時、濾泡性悪性リンパ腫第4ステージ診断される。2006/7月、正常NK細胞の働きが2%しか働いていなかった。第4期の濾泡性悪性リンパ腫がかなり進み、標準治療として抗がん剤治療薦められるが、抗がん剤は拒否し、分子標的薬のみ6週間受けることにした。
癌と闘わず受け止めながら共に生きる方針を貫くことに決めたのだ。
「NAWALOGY」と題されたその作品は大規模な空間展示であり、その製作には大きなエネルギーを必要とする。
時には多くのスタッフと共に何日も「縄」の建立のための合宿があり、現地のボランティアなどがその素材を持ち寄るところからの活動であったり、基礎工事などを含めると巨大なエネルギーを必要とする。
そんな多くの人の手によってプロジェクトは「縄を綯(な)う」という形になり、多くの思いを強固な「縄」となって形になり、そびえ立つモニュメントとなって天を目指すのである。
人種や言葉の壁を越え、その多くの思いが手を携え、精神世界の森を目指しているのである。
縄文文化の時代に象徴されるように「縄」の文化は日本古来の物であるが、八木さんの思いは世界で広く共感を呼び、2014年5月にも、ニューヨーク、イーストハンプトンで<NAWA AXIS For PEACE Project 2014>というイベントを挙行し、多くの参加者が八木マリヨさんのエネルギーに触れる事になる。
「そりゃ病気は辛いわよ。でも私は全てを知り、受け入れることで『どう生きるか』により強くこだわっていられるの」
命を削らず、引き換えにせず、受け入れ共に生きる。そんな強い意志が生み出すアートに見る者は共感を覚えるのである。
20世紀は科学技術に精神文化までふりまわされ、
そのモダニズムは人間の生活や欲望の一部分を、
切り取りそれぞれを増長させた。
地球はかけがえのない、たった一つのもの。
多様な生命が共に生きている地球のように、一つの生命、
ひとり一人を尊重すると同時に、
家族、友人の絆や地域の人々との連帯を深め、
地域の個性が発揮され、平和な国際社会を築く責任がひとり一人にある。
ひとつ一つの細胞が一つの生き物や
一人の身体を形づくっているのと同じなのです。
宇宙の小さな一員である地球まるごと全体、
地球の小さな一員である人間まるごと全体を、
有機的つながりで見れば、自然と共に全身全霊で生きていた人類の、
精神の深さが見えてくる。
目だけではとらえきれない環境が人間を抱いている。
「見えないものの声が聞こえる」
「自分は世界と一緒にいる」
「生命あるものと同じ流れのなかにいる」
「宇宙にみなぎっている魂の世界とつながっている」
このように、人間の存在、 心や魂の内面世界を見つめることや生命の根源を感じる空間を創造することが 環境芸術の役割だ。
芸術は未知なるもの、不思議なものに向い、人が生きるエネルギーにかかわる。
芸術は生きる根源にあるものです。
このテーマを解く鍵は『 縄 』
八木マリヨはそれを縄ロジイと呼びます。
縄の宇宙に学ぶところは大きい。 縄は森が人間にもたらしたものだ。
森が地球から消えても縄の宇宙はつづく。
八木マリヨ 人文学博士