2004年3月、私は、大阪大学大学院医学系研究科博士課程を修了し、医学博士の学位を受領した。あこがれだった大阪大学で医学を学び、また、外科医としての研鑽・研究をすすめ、最終的に大学院まで修了できたことは、私にとって一種独特の感慨もあり、同時に学ぶ課程における大きな区切りとなった。学位授与式で、当時の学長が、「大学院教育という現在の日本で考え得る最高の教育を受けた君たちは、定められたカリキュラムを学ぶのではなく、新しい知を創造していくのだ」といったことをおっしゃった。30歳を過ぎ、医師としてはまだまだ駆け出しではあったが、世間から見れば、ある程度いい年になった私にとって、「知の創造」ということに胸が高鳴るのを覚えたものである。
通常、大学院を修了した医師の経路というのは、留学するか、大学院に残るか、外部の病院に出張して臨床医として活動するかのいずれかであったが、私はそのときに実家の薬局を継承することとした。理由は、今となってはもう定かではないのだが、薬局が変われば地域医療が変わるのではないか、という漠然とした思いだった。
それから、10年が経過しているが、自分でも驚くことに、ほとんど言っていることは変わっていない。同時に、私の医師としての臨床活動は手術室から、外来、さらに在宅へとシフトし、それに呼応するように当社薬剤師の活動の現場も薬局から、在宅・介護施設へとシフトしていった。
医師と薬剤師が一緒に活動するためには、患者について共通の認識を持たなくてはならない。疾病や治療法に関する基本的な知識を身につけることは重要だが、それは、幸いなことに「医療薬学」の広がりによって多くの薬剤師は習得するようになってきた。その一方で、患者の現在の状態を薬剤師が知ることについては、「薬剤師はヒトの体に触れてはならない」という都市伝説が広がっていたこともあり、タブー視されていた。自らが調剤しお渡ししたお薬で、患者の状態がどうなっているかを知ることは、チーム医療推進はもとより、薬剤師のそもそもの立ち位置である「医薬品の適正使用」「医療安全の確保」の観点からも当然のことである。自分自身でも色々と考えていく中で、医師法第17条の解釈や、「医行為」に関する厚生労働省医政局長通知を知り、また、弁護士であり薬学博士でもある三輪亮壽先生のご教導もあって、薬剤師によるボディタッチやバイタルサイン測定、さらに、それらで得られた知見やデータをもとにしたフィジカルアセスメントに関する法的問題の整理がすすみ、2009年6月に当社の薬剤師を対象にしたバイタルサインの講習会を開催した。
基本的な血圧や脈拍測定、聴診器の使用方法などを学んだ薬剤師は、当時、徐々に広まりつつあった在宅医療の現場で、それらを活用しはじめた。そこでの感触に自信を得て、同年11月には、この教育プログラムを一般に公開。さらに、翌月には、一般社団法人在宅療養支援薬局研究会を立ち上げ、広く、薬剤師の生涯教育へと取り組むことになった。
それから、5年が経過しようとしているが、この講習会は、徐々に広がりを見せ、現在では2000名を優に超える薬剤師が受講し、段階的な研修プログラムを経て、自分自身で講習会を開催するエヴァンジェリストは150名を超えている。
さらに、団体としても2012年7月には、超高齢社会における在宅医療分野での薬学的専門性の意義を踏まえて、日本在宅薬学会と名称を変更。大学や病院、薬局、行政など、様々な分野の方にも活動の輪に加わっていただき、2013年5月からは、「在宅療養支援認定薬剤師制度」を開始。バイタルサイン講習会のみならず、薬学的専門性を維持・向上させるための種々の集合研修会や、e-learningシステムを構築。会員数も1200名を超える規模へと広がってきた。
この認定薬剤師制度は、2014年6月に公益社団法人薬剤師認定制度認証機構の認証を受けるに至った。これは、わが国において第三者認証を受けた初めての在宅療養支援に関する生涯研修制度となったことを意味する。
また、2014年7月には、在宅医療における薬剤師の学術活動を支援すべく、機関誌「在宅薬学」を創刊。臨床現場で得た知見や発見などをもとに、学術的にも意義のある新しい医療の在り方を考えていけるシステムの構築を目指している。
薬剤師が在宅医療の現場で何をするか?ということについては、まだ、定まった教科書はない。そのような分野に飛び込んでいくことは、不安もあるだろうし、危険なこともあるだろう。しかし、高齢化率が25%を超えたわが国で、公的保険による国民皆保険制度を堅持するためには、避けて通ることはできない分野である。そのような道を進んでいくときに、重要なのは専門性と倫理観である。医師も薬剤師も、自らの専門性を高めつつ、人として医療としてどうあるべきかという倫理観をもって、一歩ずつでも前進していくことが求められているだろう。薬局が変われば地域医療が変わる。これを推し進めることは、まさに、私にとっては「知の創造」であり、今まで色々な幸運やサポートがあって受けることができた教育に恩返しすべく、活動を広げていきたい。