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ロングセラー物語 第1話:大幸薬品 正露丸

「ラッパのマークの正露丸」といえば、誰もが一度はお世話になった記憶があるのではないでしょうか。あの独特の香り…それだけで安心感があるような、そんな家庭薬ロングセラーの代表格「正露丸」の歴史をご紹介いたしましょう。

  • 1902年、中島佐一薬房が「木(もく)クレオソート」を使った丸薬「忠勇征露丸」の製造販売をはじめたのが、『正露丸』の歴史のはじまりです。その後、日露戦争中、衛生状態の悪い外地において多くの兵隊が疫病に倒れるという深刻な状態となりました。そこで旧日本陸軍が、当時、胃腸病だけではなく肺炎や肺結核にも効果があると言われていた「木クレオソート」の丸薬に「征露丸」と名付けて軍薬とし、1日1回の服用を命じました。

    商品名は、当時流行語でもあった「征露」=ロシア(露西亜)を征するという言葉から命名されたと言われており、後に国際関係上、「征」の字は「正」と改められました。そして戦後はラジオ、テレビなどの宣伝広告を積極的に行い、「ラッパのマークの正露丸」は大きく知名度を上げました。皆さんご存知の、正露丸のCMで使用されているラッパのメロディーは、旧日本陸軍の食事の合図でした。

  • 昭和初期の忠勇征露丸 ※ まだ「征」の文字が使われている

正露丸が生まれてから100年以上。その間には、誤解が生じたこともありました。「クレオソート」には、正露丸に使用される「木クレオソート」と、線路の枕木などの木が腐らないよう防腐剤として使用される「石炭クレオソート」の2種類があります。「石炭クレオソート」には発がん性があるとされており、こちらと誤解して正露丸の安全性を疑問視する噂が立ったこともありました。しかし、この2種類は全く別のものであり、正露丸に使用される「木クレオソート」の安全性は確認されています。また、この安全性の確認において大幸薬品は、独自の試験や専門誌への論文投稿等を通して大きく貢献しました。

正露丸は1954年から東南アジアやハワイへの輸出を始め、現在も世界各地で親しまれています。しかし、世界では未だ衛生設備や医療制度が不十分な国や地域があり、下痢や脱水症状などに苦しむ人々が多くいます。正露丸はこれからも、世界の人々に役立っていくに違いありません。

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