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INTERVIEW 現代社会における社会福祉の課題と選ばれる薬剤師

社会福祉法人恩賜財団済生会 理事長

炭谷 茂氏

1969年東京大学法学部卒業後厚生省(当時)に入る。厚生省国立病院部長、社会・援護局長等を経て、2003年環境事務次官に就任、2006年退任。
現在恩賜財団済生会理事長、日本障害者リハビリ協会会長、中国残留孤児援護基金理事長、富山国際大学客員教授等を務める。
著書として「社会福祉の原理と課題」、「私の人権行政論」等。

社会福祉法人恩賜財団済生会の理事長として、生活困窮者を支援する事業「なでしこプラン」を積極的に推し進めている炭谷茂氏。使命を持って取り組んできた福祉の問題や、医療の最前線で求められる薬剤師の役割について伺いました。

  • UNIV

    炭谷さんのご経歴を教えてください。

  • 炭谷

    1969年に大学を卒業し、旧厚生省に入省しました。私の37年間の公務員人生のなかで、厚生省にいたのは約半分くらいで、自治省、総務庁、在英日本大使館、福井県、公害防止事業団を経て、2001年からは環境省で官房長、環境事務次官などに就きました。退任後、2008年5月から済生会理事長に就任しています。

  • UNIV

    厚生省に入省されたのはどんな理由からでしょうか。

  • 炭谷

    私が大学を卒業したのは昭和44年なのですが、その頃は戦後昭和30年代から高度経済成長期となり、その恩恵を受けられない人たち、例えば公害被害者や生活困窮者、障害者の問題が生じていた時期でした。そこで、大学時代は公害問題と社会の格差等、福祉国家論を学び、実際に支援活動にも取り組んでいました。大学時代に支援活動を始めてから今日までちょうど50年、職場は変わりましたが、同じことを追求して今に至るわけです。

  • UNIV

    入省後はどんな取り組みをされていましたか。

  • 炭谷

    各局で最初は環境関係から福祉、精神障害者に関する医療のほか、原爆被爆者、被差別部落の問題について取り組みました。それと並行して、個人としてもボランティア活動を行っていました。

  • UNIV

    どんなボランティア活動をされたのでしょうか。

  • 炭谷

    大阪市西成区の釜ヶ崎で暮らす労働者やホームレスに対しての仕事づくりなどの支援活動を行ってきました。ライフワークとしてボランティア活動に取り組んでいるのですが、これには家族も理解をしてくれて、妻も60歳を過ぎてから社会福祉士の資格を取得し、一緒に活動してくれています。これからもずっと続けていくつもりです。

  • UNIV

    済生会と厚生省にはどのような関係があったのでしょうか。

  • 炭谷

    旧厚生省の基本的方針としては、低所得者などが無料または低額な料金によって医療機関で診療を受けられる無料低額診療事業を縮小、できれば廃止するという姿勢でした。平成元年に厚生省の審議会が無料低額診療廃止という方針を出すのですが、これはつまり、明治天皇が生活困窮者の救済を目的に明治44(1911)年に設立されてから100年近く活動してきた済生会の必要性がなくなるということを意味しました。しかし、当時、東京・山谷や大阪・釜ヶ崎の無料低額診療を実施している団体から反対の声が上がり、取り下げることになりました。

  • UNIV

    炭谷さんの済生会との関わりを教えてください。

  • 炭谷

    学生時代、私が生活困窮者が暮らす場で活動をしている中で、無料低額診療に対するニーズは大変強いと感じていたのですが、世間一般からはなかなか分からないものでした。1997年に私が社会援護局長になった時、無料低額診療を廃止する構えだった厚生省の考え方に疑問を感じ、全面的に見直す取り組みを行いました。

  • UNIV

    厚生省はなぜ廃止する構えだったのでしょうか。

  • 炭谷

    国民皆保険体制となり、また、これで不十分な人に対しても医療扶助があるので、もれる人はいないという建前になっていました。役人や社会保障の学者はそういう制度だけを見ているのですね。制度の上ではもれる人がいないのが日本の医療保険制度の素晴らしさだけれど、実際はそうではなく、もれる人がたくさんいて、私は実際にそれまでに見てきていました。でも、国も地方自治体も対処しようとはしません。

  • UNIV

    そこで済生会の役割が必要になってくると。

  • 炭谷

    そうです。済生会なりが無料低額診療事業を行わなければいけないと考えました。廃止ではなくてむしろ、力を入れ、充実させるべきではないかと私は逆の方針をとりました。法律上の制度論と現実論では違うからです。それによって、済生会の必要性が高まりました。私が局長になるまでは、済生会の一切の新築や改築は認めない、定款変更は一切認めないという方針でしたが、全部認めるようにしました。OBの方など自分たちの古い考えにこだわっている方々から、いろいろと強い圧力はありましたが、正しいものは通るとの信念で、審議会も通して、社会福祉法のなかでしっかりと無料低額診療を位置付けることができました。

  • UNIV

    戦後30年間一貫していた考えを覆すのは並々ならぬご苦労があったと思いますが。

  • 炭谷

    局長任務は通常1、2年で別のところに異動になるのですが、大改革を行うために私は局長を3年半勤め、無料低額診療のみならず福祉制度を今の時代に合うよう、社会福祉の基礎構造改革と呼び、福祉の在り方を全面的に改めました。大学時代からの自分の思いをそこに結実させたのです。福祉関係団体の一部からは、これまでの仕組みでは安定した運営を送れていたのにそれを崩すことになる、と強い反対がありました。当然、福祉の利用者は賛成してくれると思いましたが、必ずしもそうではありませんでしたね。今まで自分の子どもは施設で親切にしてもらえているから、変なことはしなくていい、今のままでいいという考え方の人が多かったのです。

  • (山口県)湯田温泉病院 H27年12月竣工

  • (山口県)湯田温泉病院デイケアセンター リハビリテーション室

  • UNIV

    どのように説得し、方向転換を図ったのでしょうか。

  • 炭谷

    福祉は一つの権利、つまり人権であり、これを重んずる制度に変えなくてはいけないと、さらに、これまでの施しの福祉、与える福祉といった明治時代以来の考え方を、福祉を提供する人と、福祉を受ける人が対等な立場になった福祉に変えなければ、日本の福祉はよくならないと説明しました。関係団体とは自ら170回もの話し合いを行うことになりました。100年間続いた日本の福祉ですから、簡単に変えることはできません。

  • UNIV

    反対理由はどのようなものでしたか。

  • 炭谷

    それはいろいろあります。これまでの提供者は、福祉の利用者を行政が割り振ってくれるので、自ら行動しなくてよかったのです。福祉施設の場合は、行政から1か月ごとに必要な経費が支払われました。そうすると提供者は非常に楽ですよね。努力せずに資金も毎月入ってくるのですから。

  • UNIV

    利用者から反対の声が上がるのが意外ですが。

  • 炭谷

    利用者は行政から、家に一人でいると命の危険の恐れなどがあるので、施設を決められ、入所の命令を受けるという仕組みですね。自分が選ぶのではなく、当時は措置という言葉が使われていて、提供者は利用者の上にいる関係にありました。そうなると、福祉施設側はサービスをよくしようという気持ちはあまり起こらないですよね。利用者の方も行政任せで費用も行政負担なので、ある程度楽でもありました。障害者を抱えている親にとってはその方が安心だったのですね。

  • UNIV

    炭谷さんはそこでどのような行動を取られたのですか。

  • 炭谷

    私は本来は福祉を受けるのは憲法上認められている権利なので、自分でどの施設に入るか選んだらどうかと主張しました。分かりやすく言えば、提供者と利用者が上下の関係にあるのではなく、対等の関係にして、自分で選択して契約関係で入るようにすべきだということです。利用者からは、それはよいことのように思えるけれど不安も払拭できないという思いもあったようです。精神障害や知的障害を持っていた場合、利用者が選択するのを支援する制度も別途用意しました。一方、行政の方も、これまで通りにはいかなくなるので、すんなりと賛成してくれるわけではありませんでした。福祉の世界に契約とはなんだという声もありました。しかし、粘り強く交渉を続けて、最後には分かってもらえました。今日の福祉にまだ十分に浸透しているわけではありませんが、制度的にはそのように整えられました。人間の心ですから、浸透するまでには10年、20年といった時間がかかると思います。

  • UNIV

    薬剤師の世界でも今春の診療報酬で、「かかりつけ薬剤師」としての業務推進を国が制度化し、薬剤師の職能・職域を広げる動きが見られます。薬剤師も選ばれる時代になってきますが、医療の前線に立って活躍するには今後どうしたらよいでしょうか。

  • 炭谷

    地域における薬剤師の役割が大きくなることは、重要なポイントであると思いますし、私自身も大変強い関心を持っています。イギリスの国民保健サービス「ナショナル・ヘルス・サービス」では、プライマリ・ケア・サービスとして地域医療が活発なのですが、薬剤師がいかに地域のために活動するかという問題に20年以上前から取り組み、そのことは大分定着してきているように思います。地域住民の健康づくりのために薬剤師が貢献するという考え方は非常に重要であり、日本でももっと拡大すべきではないかと私もいろいろな場面で言及してきました。

  • UNIV

    具体的にはどのような取り組みをされているのでしょうか。

  • 炭谷

    数年前、18世紀の肥後藩の薬園に由来のある熊本大学薬学部に呼んで頂き、熊本市内の薬剤師の方々に地域における薬剤師の役割についてお話しました。このように、機会があれば薬剤師に向けた講演を行っています。また、病院にも薬剤師がたくさん在籍していますが、薬剤師が調剤だけをしているのは過去のことで、薬剤師にも病院全体のことを考えて欲しいと願っていますので、昨年度からは済生会内で、薬剤師対象の研修をスタートさせました。済生会には105年の歴史がありますが、病院長や看護師などの研修はあっても薬剤師に対する研修は必要性が薄いという理由で、やっていなかったのですね。しかし、昨年からここの本部に集めての研修を始めて、今年はさらに充実させていこうと思っています。

  • UNIV

    薬剤師が病院全体のことを考えるとは、革新的な方針ですね。

  • 炭谷

    これからは病院のなかの薬剤師にしても、平成24年度診療報酬改定では、病棟薬剤業務実施加算が新設されて、薬剤師が評価される時代になってきています。しかし、こういったものだけではなく、病院全体の経営についても関心を持って欲しいし、我々済生会では平成22年度から「なでしこプラン」というホームレスや家庭内暴力(DV)被害者、刑務所出所者、障害者、高齢者、在留外国人等の中で、医療・福祉サービスにアクセスできない人たちを対象に巡回健診、予防接種、健康相談等を行っているのですが、この問題についても薬剤師に関心を持って欲しいと思っています。済生会の目指す方向をしっかり踏まえてもらい、活動して欲しいという思いです。

今年度新たに始めた医療技術者マネジメント研修

  • UNIV

    薬剤師の研修ではどんなお話をされましたか?

  • 炭谷

    生活困窮者の支援、地域医療、総合的な医療福祉サービスの3本柱が我々の使命であると説明をしました。済生会の薬剤師である以上、済生会の目指す方向を意識して、それぞれに努力をして取り組んで欲しいと訴えているわけです。組織には理念があり、やるべき使命がある、それをはっきり認識して組織運営をしなければならないのです。残念ながら、済生会では長い間理念や使命をはっきりさせてこなかったため、平成元年に無料低額診療を廃止すると言われても仕方ない状況にありました。しかし今では、理念、使命、そしてこれらに基づく業務を明らかにすることを徹底するようにしています。理念、使命を明確にして行動していれば、国民の共感を得ることができます。

  • UNIV

    今後、ますます在宅医療を必要とする方々が増えてくるなかで、薬剤師が自宅療養者と医師の橋渡しをしていくことについてはどのようにお考えでしょうか。

  • 炭谷

    高齢者の割合が多くなっている今、高齢者はたくさんの病気を抱えてたくさんの種類の薬をもらっています。高齢者にとってこれらの薬がどういう役割を持つか、薬剤師がしっかりと把握し、さらに、複数の医療機関を受診していた場合、どのようにして薬剤師が患者さんの状況を見て支援をするかが重要になってくると思います。超高齢社会になってくると、家族がおらず、高齢者が単身で暮らしているケースも増えてきます。気を配ってくれる子どもがいれば助言できますが、そうではない患者さんも増えています。このような状況のなか、まちの薬局が何らかの支援をしていく役割が大変重要になってきていると思います。済生会でも院外処方にしている病院が圧倒的に多くなってきているので、より、まちの調剤薬局との連携が強くなっていくと思われます。

  • UNIV

    病院を出られた患者さんを、病院と地域の薬局、もしくはクリニックがサポートしていく包括ケアが注目されている状況にあり、病院と地域の薬局がもっと連携を計って動いていく必要性がありますね。薬薬連携が地域医療に浸透し、患者さんがより安心して医療を受けられることを願っております。
    本日はお話をお聞かせいただきありがとうございました。