かつて江戸や京、大坂についで栄えた加賀藩の城下町・金沢。
東京から北陸新幹線“かがやき”でわずか2時間半、大阪なら特急サンダーバードで2時間40分ほど。
日帰り感覚で遊びに行けて、隣接する富山もぐっと身近に—。
忍者寺は石川県金沢市にある日蓮宗のお寺で正式名称は正久山妙立寺。黒い屋根が入口左右に建ち、まるで阿形と吽形のようだ。不思議な形の門をくぐるとさらに大きな三角の黒い屋根を持つ本堂が見える。
拝観には予約と拝観料が必要で、集合時刻の本堂前には10人ほどが並んでいた。名前を告げ本堂の中へ。後からきた人たちを含めて約30人の拝観客は2組に分かれて、スタッフによるガイドがスタートした。
まずは軽く歴史のお勉強から。簡潔に述べると藩祖前田利家は信長、秀吉より能登、加賀を与えられ、天正11年(1583年)に金沢に入城する。嫡子利長の戦の功績でさらに領地が与えられ100万石の前田家領を形成する。
時は流れ徳川幕府が全国統一をするため、些細なことを理由に諸大名のお取り潰しを行っていた。力を秘めた加賀藩に対しても幕府内では加賀征伐の計画があった。警戒をしていた三代藩主・前田利常は徳川家から嫁を迎え、母親を人質に出し、自身は鼻毛を伸ばして馬鹿殿を演じて幕府を安心させていた。
一方で不測の事態に対応するため軍備を整えていた。寛永20年(1643年)に金沢城近くに建っていた妙立寺を現在の場所に移築建立したが、表向きは加賀藩祈願所という普通のお寺、しかし実態は金沢城の出城として機能していた。
落とし穴や隠し階段、仕掛け賽銭箱など様々な仕掛けと、迷路のような複雑な構造とともに「忍者寺」と呼ばれた。
結論。忍者寺には忍者はいないが、建物に仕掛けが施された忍者のように知略に長けた戦える城だった。
金沢と言えば金箔、金箔と言えば金沢。そして向かったのは金箔について楽しく学べる体験型金箔総合ミュージアム 箔巧館。
お目当ては箔貼り体験で、自分だけの工芸品を作ること。中は広々としたお土産コーナーやカフェがあり、金箔ソフトも発見! 帰りに寄ろう。
地下に案内されるが何やら暗く怪しいムード。スタッフに「左をご覧ください」と言われたので、顔を向けるとLEDの照明がパンっと当たり、黄金のステージが浮かび上がった!金箔の壁を背に黄金の鎧兜が鎮座する。驚くのは、初代藩主前田利家公が所蔵していた鎧兜を復元したもの。信長・秀吉も真っ青の派手好み。当時も全身金箔の鎧を着て出陣していたそうだ。この「金箔の間」には1万枚以上の金箔が貼られ、煌びやかのさらに上を行く。黄金の甲冑を中心に利家公が金沢城に入場するまでの物語が、金箔と光の幻想的なプロジェクションマッピングで表現され、しばし見とれてしまった。
箔貼りは、最初に「見習いコース」「名人コース」「仙人コース」の中から一つ選ぶ。名人コースまでは、うさぎや花柄などデザインされたシールを貼るのだが、「仙人コース」は自由にデザインができる、上級者向け。箔も「金箔」「銀箔」の2種類が使える豪華さ。ここは迷わず「仙人コース」を選んだ。
次はアイテム選び。梅皿と迷ったが重厚な雰囲気の、黒い小物入れに決めデザイン開始。忍者寺の茶室の壁に満月、雲、富士山を表現した飾り壁(ここにも仕掛けが)が印象に残っていたのでモチーフは富士山にする。雪化粧と金色の朝日を繊細に表現したかったが、完成はイメージと違った。先生達が気遣って褒めてくれたので笑顔になれた。
帰りに金箔ソフトを注文。金箔1枚をまるまるソフトクリームに貼るお姉さんの目は真剣そのもの。見事な貼りつけで、見慣れたソフトが黄金を纏った瞬間、自分との関係が逆転した。うやうやしく丁寧に金箔ソフトを持ち、じっくり眺めてから「いただきます」と一礼して先っぽだけを食べる。安心のいつもの味だ。今度は大胆にいってみる。金箔が口の中で存在感を示すが特に味に変化はない。食べ終えた後は、自分の価値が金箔1枚分以上あがったと感じたのは気のせいだろうか。
お腹が空いたので近江町市場に寄る。金沢市の中心にある生鮮野菜など、約180店舗が集まる市場だ。「金沢の台所」であり観光スポットでもある。到着したのが夕方5時だったのでほとんどのお店が閉まっていた。午前中の活気あふれる賑やかな市場を想像しながら人気のないひっそりと佇む市場を歩くのもなかなかいいものだ。
うにいくら丼を見つけた。のれんをくぐり戸を開けると「らっしゃい!」と威勢のいい声が。続けて「あと30分でお終いなんですが」「うにいくら丼いけます?」「お酒は呑まれますか?」「いえ、呑みません」「それなら大丈夫ですよ」 待つこと5分。どーん!キター! キラキラぴかぴか艶々、ルビーに輝くいくらの上に、金粉が乗っているのはさすが金沢。
一口・・・スプーンで頬張る。至福の極み、海苔もサービスでついてくるので、うにの手巻き、いくらの手巻き、両方巻き! 最高にゴージャスな丼は瞬く間に完食した。
翌朝は金沢大学附属病院 薬剤部にお邪魔した後、富山県に向かった。金沢が「金箔のまち」なら富山は“薬都”ともいわれる、薬のまちだ。
きっかけは江戸城内で激しい腹痛に見舞われた三春藩(福島県)の藩主に、富山藩二代藩主・前田正甫公(前田利常の孫)が常備していた反魂丹を与えたところ、たちまち痛みは収まった。この件が、諸藩の大名に知られ富山の薬が評判を呼ぶ。正甫公は、薬御用達松井屋源右衛門に製薬を命じ、反魂丹をはじめ富山の薬を他の藩へ販売し全国に広まった。
富山の売薬業は廃藩置県にともない、新政府は、国内の医薬業界を国家統制におくため、売薬規制法を制定し漢方売薬を廃止に追い込んだ。売薬業者たちは資金と知識をあわせて、「売薬結社広貫堂」を発足させた。廣貫堂の由来は「用を先にし利を後にし、医療の仁恵に浴せざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ」という正甫公の理念であり、現代まで受け継がれている。
廣貫堂株式会社の広大な敷地内には資料館をはじめ、薬工場もあり、こちらも見学が可能だが、明るいうちに千里浜なぎさドライブウェイにも行きたいため、後ろ髪を引かれながら再び、石川県に入る。
千里浜なぎさドライブウェイは国内で唯一、波打ち際を自動車やオートバイで走ることができる砂浜の道路だ。波打ち際を走れるところは世界で3か所しかないと言われていて、なぎさドライブウェイの全長約8kmは世界一だと地元の方に教わった。
砂浜を乗用車が走れる秘密は砂の粒子が細かく、海水を含んで固く締まっているから。丘側には海の家のようなお店がいくつも並んでいて、焼き貝やゲソ焼き、トウモロコシなどが食べられる。車を停めてサザエのつぼ焼きとハマグリを頼んだ。立ちあがる煙がすでに旨い!さらに醤油が追い打ちをかけて来た! 待っている時間は拷問だ。
香ばしいサザエとハマグリのアツアツを一気に平らげてしまった。もったいない、もっと時間を掛けるべきだった。
お店の方によると子どもの頃の海岸線はもっと沖にあって、砂浜の道幅は倍くらいあったそうだが、年々、海面が上がってきているらしい。店舗も砂浜の上に建っていたが、爆弾低気圧や台風になると店が流されることが度々あり、土手のような高台をつくり今ではその上に店を構えている。それでも流されたことがあったとか。
何十年単位かもしれないが、いずれ海に沈んでしまうだろうって寂しそうに話されていた。
「昨日の夕日はすっごく綺麗だったけど、今日は曇ってるねぇ。でも楽しんで走って行ってねー」と笑顔で見送られ、砂浜の道の終点を目指して出発した。
金沢大学附属病院・薬剤部長が考える
人材育成とこれからあるべき薬局の姿とは
金沢大学附属病院
教授・病院長補佐・薬剤部長
崔 吉道(さい よしみち)先生
1994年 金沢大学薬学部 助手、1997年 米タフツ大学医学部 博士研究員、
2004年 共立薬科大学 助教授、2008年 慶應義塾大学薬学部 准教授、
2009年 金沢大学附属病院 准教授、2014年 金沢大学附属病院 教授・副病院長・薬剤部長、現在に至る
【資格】
日本医療薬学会 認定薬剤師、同 指導薬剤師
日本臨床薬理学会 特別指導薬剤師
日本薬剤師研修センター 認定薬剤師
日本薬剤師研修センター 認定実務実習指導薬剤師
5年間のレジデント「型」研修
金沢大学付属病院では、ポスト2025年の地域完結型医療を担うリーダーを育てています。地域完結型医療の中では、医療の全体像と大学病院や中小病院、調剤薬局などそれぞれの役割を理解し、患者さんの送り出しと迎え入れの流れを作る必要があります。その全体像を把握できる人材を育成するには、施設間での人事交流やお互いの研修参加などを通して、実際に見ることが一番です。大学病院の薬剤師で言えば、高度急性期という患者集団の一部にしか関わっていないため、薬局で地域のことを知ることが必要ですし、薬局薬剤師には処方元の意図や流れを知ってもらいたいと思っています。
2017年金沢大学付属病院創設150周年の記念に際して、5年間のレジデント型研修をスタートしました。あえて、レジデント「型」としたのは、通常のレジデントでは短期間に特定領域について深く学ぶものが多いですが、私たちは職員全員に幅広い領域をバランスよく学び、全体を見渡すことのできる優れた人材となっていただきたいと考えているからです。レジデント採用というものはなく、新卒・既卒を問わず5年間の任期付き常勤として採用し、レジデント型研修を行います。
入職後1年目の6月にはもう病棟へ出てもらい、半年毎のローテーションで4つの病棟を回ってもらいます。化学療法がある病棟とない病棟、外科系と内科系の病棟でも異なりますので、まず最初の2年間は幅広く学び、視野と間口を広げます。その後の3年間は、例えばがん専門やNST、感染など、自分の伸ばしたい専門分野を深めていきます。
医師・薬剤師・薬学生での共同研究
本院の薬剤師には毎年、全員に研究提案をしてもらい、採択されると研究費を獲得し、自分で研究を進めていくことができます。研究では、医師と薬剤師と薬学生で連携して共同研究を行うことも少なくありません。
例えば、外科医と病棟薬剤師と薬学生の共同研究例があります。膵癌の術後の患者さんにおいて、膵臓から肝臓へ転移することが少なくありません。その転移を予防するために、術後に化学療法を使うのですが、膵臓の手術は負担が大きく免疫力が下がっているため、すぐに始められないことがあります。そういった場合に、肝臓に直接薬剤を送るために動脈に投与する、という添付文書の適応拡大を目指した研究を行っています。学生が培養細胞や動物で実験をして、どのくらいの投与量が安全で効果が得られるかを調べ、その後医師と薬剤師が臨床試験を行います。仕事を抱えて生物実験を行うのが難しい薬剤師と臨床に興味がある学生との互恵関係での共同研究です。
「アポテカ」薬局をご存知ですか?
これからの地域医療をどのように守っていくかを考えたとき、拠点となるのは薬局だと思っています。社会保障費を考えるときも、医療費削減だけではなく“健康な状態をいかに維持していくのか”という部分が非常に重要です。
薬局の地域に対する貢献を示すエビデンスを構築したいと、薬局と石川県白山市の山田市長にご協力いただき、産官学で地域の健康を守る「アポテカプロジェクト」を立ち上げました。2017年10月には、人口1000人・300世帯程の白山市のスキー場に繋がる山間部に薬局を作りました。
健康の維持を考えたとき、処方箋調剤だけでなく、栄養や食事の部分のサポートは欠かせません。買い物をするところもなく、お年寄りだと荷物を持つのが重いので菓子パンばかり買って食べていたら血糖値が上がった…ということも起こってきます。そこで、薬局の半分の面積を使って食品などを販売し、偏った買い物をされている方には、栄養士がお声掛けをします。また、地域の方の集いの場になることも目指しています。置くテーブルも、小さすぎると他人とは座りづらく、大きすぎると会話が生まれないということで、専門家の方に最適なサイズを教えてもらい設置しました。循環バスの待ち時間を過ごしてもらったり、最近では作った野菜を持ち寄ってシェアしたり、栄養士がその野菜を使ったメニューの提案もしています。集いの場へ歩いて来てもらうことで、運動習慣にもなります。
そして、薬局が地域の健康を担うには、「薬をもらうところ」という認識を脱却し、地域から信頼される薬局でなければなりません。そこで、学生実習をこの薬局で行うことで、学生に地域との関わりや健康サポートを学んでもらうことはもちろん、同時に、地域の方に「未来の薬剤師の教育を担う場所」でもあることを理解してもらいたいと思います。そういったところから薬局への信頼にも繋がっていくと考えています。
アポテカプロジェクトの取り組みにより地域の健康がどのように良くなったのかの検証が重要です。(例えば健康維持のためのコストや要介護度を把握するなど)薬局のどのような機能が地域の健康に効果をもたらすのかを知ることができれば、薬局が地域の健康サポートの拠点としてより良い活躍が期待できます。
英語で「薬局」はファーマシー、ドラッグストアですが、日本で言うドラッグストアは既にイメージが付いています。今回作ったモデル薬局のような「これからあるべき薬局」を表す言葉として、ヨーロッパで薬局を指す「アポテカ」をイメージ付けしていきたいと思います。
●取材協力 金沢大学附属病院 薬剤部
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