南アルプス、奥秩父山塊、御坂山地の山々に囲まれた盆地に築いた甲斐国。山梨県は郷土の英雄、戦国最強武将、武田信玄の本拠地であり、駿府や小田原と並ぶ東国有数の都市に発展した。
今は多くの人が癒しを求めてこの地を訪れる。
都心からのアクセスも良く、ふと見上げれば富士山がいつでも顔をのぞかせる。
自然に囲まれた街、山梨の心地よさは格別だ。
温泉旅館、弘法湯で迎えた至極の朝。辺りはまだ薄暗い中、南アルプスは朝日を受けて黄金に輝き、神々しいその表情に心が奪われる。
湯村温泉郷は昔ながらの情緒ある温泉街。良泉の湯どころとして歴史は古く、武田信玄の隠し湯とも呼ばれ、多くの武将が戦の疲れを癒したという。また、太宰治や松本清張をはじめとする文人たちからも愛された。
弘法湯の泉質はナトリウム塩化物泉(弱食塩泉)で、神経痛、筋肉痛、冷え性、疲労回復、切り傷など幅広い効能があるとされる。泉温は37.6度とやや低めの温度もあって、長湯を楽しめた。
早朝の温泉を心ゆくまで楽しんだ後は、素敵な朝食が待っていた。
明治に入り甲府城は廃城となり、城郭の敷地を整備して近代化が進められた。県庁や甲府駅もこの城郭内にあり、駅と線路が城郭を東西に貫いている。
甲府駅南口を出ると甲府城跡の舞鶴城公園が広がっている。石垣を見ながら坂を登れば天守台へと続き、甲府市もちろん、盆地に広がる甲斐市、南アルプス市など360度のパノラマだ。雄大な山々も一望でき、さらに高く大きな富士山も見える。
鉄門や稲荷櫓は史実に基づく伝統工法によって、建築当初の姿で再建。見学は無料なので気軽に立ち寄れるのがうれしい。
線路を隔てた北エリアにも山手御門など、甲府城の出入り口だった立派な門が残り、現在は歴史公園として、舞鶴城公園とともに市民や観光客に解放されている。
甲州夢小路。甲府駅北口から徒歩約1分、歴史公園の隣に広がるショッピングエリアだ。明治、大正、昭和初期の城下町を再現し、移築された古民家や蔵、倉庫など、昔の建築様式を取り入れたレトロな雰囲気の店舗が立ち並ぶ。
石畳を歩けばアンティークジュエリーや和紙など伝統工芸品のショップや、県産の食材を味わえるイタリアンをはじめワインショップ、地酒を扱う店、蔵の美術館もあり、ゆっくりと丁寧に見て回りたいオシャレなスポットだ。
また、明治初期まで200年以上にわたり時刻を知らせていた「甲府 時の鐘」も再現され、小江戸情緒を感じさせてくれる。
武田神社は甲府駅から北へまっすぐ山に向かって伸びる桜並木の坂道、武田通りの突き当たりにある。武田三代の館跡に、信玄公を御祭神として祀り、勝運のご利益がある。
信玄が21歳の時に国主となって以来、戦は連戦連勝、周辺国には「甲斐の虎」と恐れられた。信玄は戦のみならず領国の経営にも熱心で、特に治水工事や農商業に力を注ぎ、領民にも深く愛されたという。今でも「信玄さん」と呼び親しまれている。
境内の館跡には「姫の井戸」や「水琴窟」、「甲陽武能殿」など見所豊富だ。境内に広がる森や放し飼いの烏骨鶏の可愛らしい姿にも癒された。
武田神社を後にして、本栖湖へと向かう。
本栖湖は武田神社より車で約1時間。富士山の北西山麓にあり、富士五湖の1つ。この湖は富士五湖の中で最も深い、最大水深約122mを誇り、富士山頂から初日の出が昇る「ダイヤモンド富士」でも有名。夏には多くのサーファーや釣り人が訪れる。
今回の目的は、千円札の裏に描かれている逆さ富士を見ること。駐車場の脇に登山道の入り口があり、木で作られた階段が目印だが、道はかなり荒れている。ここから「千円札の逆さ富士展望台」まで片道30分、距離にして約700m登った所だが、思った以上に斜度があり、登り始めて5分も経たずに息が上がる。これは文字通りの登山だ。
石や落ち葉、乾いた土が足元を不安定にさせる。時折すれ違う人と挨拶を交わすが、みな登山スタイルでトレッキングポールを手にしている。
日頃の運動不足がたたり、つづら折れの山道を5分登っては休憩を取らないと足が前に進まない。
ようやく看板が見えて来た。案内には本栖湖まで370m(10min)、中ノ倉峠まで310m(10min)の表示。中間地点だが20分近く掛かっていた。
しばらく登った辺りで「千円札の逆さ富士展望台」と「パノラマ台」への分岐が示された案内板を確認し、ついに千円札の逆さ富士展望台に到着した。
財布から千円札を取り出し、絵と目の前の景色を比較する。
湖面に映る逆さ富士は見られなかったが、確かにここからの眺めだという事実と、ここまで登りきったという達成感、心地いい疲労感の中で、写真を収めたのだった。
課題を抱えながらも、長く慕ってくれる地元の人のためにこれからも薬局を運営し続ける。
レモン薬局(快療堂薬局) 顧問
久津間 千秋さん
経歴について。
昭和大学薬学部を卒業後、当時の藤沢薬品工業(現アステラス製薬)に就職しました。東京で3年ほど勤めましたが、父の病状が悪くなり、弟と妹も当時まだ学生だったこともあり、地元山梨へ戻りました。
医療従事者が多い家系で、父はここの前身の薬店を営んでいましたし、私の弟と従弟、息子2人も医者です。弟はクリニックを開業し、私は薬局を始めました。店舗名はレモン薬局ですが、法人名は「快療堂薬局」で、父が営んでいた「快療堂薬房」をほとんどそのまま引き継いでいます。
店舗拡大の経緯と、リーファーマに店舗譲渡することになった経緯について。
当時借金をしての開業だったため、一日の売り上げが予定に全然追いつかずとても大変でした。1店舗だけではダメになる……という気持ちで店舗を増やしたことが、結果店舗の拡大に繋がりました。苦労していることが伝わったためか新規開局のお話を頂いたり、最終的には仕事ぶりを評価されたのか、開業予定のとある有名なドクターを紹介していただいたりしました。
ですが拡大ばかりではなく、当社は4、5年前に2店舗を譲渡しています。それは山梨県に薬剤師が非常に少ないことが最大の理由でした。退職者が出て、新しく雇用しようにも薬剤師がいない……。金融機関の方からのアドバイスがきっかけで、あるコンサルティング会社に店舗譲渡の相談をするようになりましたが、リーファーマのように屋号を残してもらえることはありませんでした。経営権を売って、完全に自分は関係なくなってしまいました。レモン薬局についてはどうするべきか迷い、一時は不動産屋に売ってしまうことも考えましたが、屋号はそのままにリーファーマへ譲渡することにしました。現在も良いお付き合いをさせていただいています。
患者さん、お客さんと接する際に大切にしているマインドについて。
学生時代は、患者さんやお客さんに薬の働きや効果・効能を分かりやすく伝えられるようになるために、薬理学をよく勉強しました。これまで地域の薬剤師会の会長になったこともありましたが、ドクターを招いた勉強会の場では、「処方せんを受け取りに来る患者さん、一般大衆薬を買いに来るお客さん。その方々に、簡単に説明できる一言は何だろう、ということを考えながら、ドクターの話を聞いてほしい」と挨拶したこともありましたね。
薬局薬剤師は職人商売と言いますか、単なる物品販売とは違います。あるときはお客さんにきちんと説明をして納得していただくことが必要で、待たせてしまうこともあるので、いい加減なことは言えません。
レモン薬局の特徴であり、課題の一つ。
当店には無菌調剤室があります。薬剤師会の会長を引き受ける以前のことですが、事務局の方から、在宅支援に向けて無菌調剤室を用意する600万円の予算があること、その導入には店舗に複数名の薬剤師がいて、それなりの店舗面積を持っていることが条件ということを聞きました。そこに前の会長の方が、レモン薬局を推薦してくださいました。
それまでも、決して加算目的ではなく毎日在宅業務(配達や送迎など)をやっていたため、やや複雑な思いもありましたが、店舗を改装して無菌調剤室を併設することになりました。
ですが実際には活躍の機会はほぼ無く、稼働させるには人員が足りません。無菌調剤が必要になるということは、患者さんは基本的に終末期の人が多いので、大体週3回(2日に1回)くらいの割合で稼働させなければなりません。無菌室を使用しているときは、薬剤師が1~2名付きっきりとなり、その分人員も必要となりますし、負担がかかります。今後本格的に稼働させることを考えるならば、薬剤師が不足しているこの地域ではそこが大きな課題だと思います。
今後の展望について。
父が薬店として25、26年間営業し、受け継いだ私が薬局へと形を変えて、一日たりとも日を空けずに現在も営業を続けています。こういった店舗の暖簾は大切だなと感じます。
弟がクリニックを開業したとき、「親父さんがやっていた薬店の息子さんたちだから安心して行けるね」と地域の人が言ってくれたのを思い出します。そういってくださる方々をがっかりさせないように、これからも慕ってもらえるような薬局であり続けたいと思います。
●取材協力 / レモン薬局(快療堂薬局)
〒400-0501 山梨県南巨摩郡富士川町青柳町612
TEL:0556-22-6776